ウラジオストク女性と交際は遠距離恋愛ではありません

毎日のフライトで繋がってる日本とウラジオストク。僅か2時間で日本に一番近い白人国家は大の日本好きな都市。日露間を行き来する将来をお考えなら嫁さんはロシア人!

ウラジオストク女性と結婚紹介22年目の会話倶楽部ロシア

昔は強制両替

この記事は約2分で読めます。

1974年に初めてポーランドに行った時、ポーランド人は月給をドルに換算すると30ドルくらいでした。その時は外国人は強制両替で年齢によって強制的にドルをポーランドのズロティに変換する義務がありましたので30日滞在すると私の年齢では30x20ドル=600ドルを両替する義務がありました。

ロシアの場合は強制両替でなく日本からロシア入国地点まで交通費、その町でホテルや料理やガイド料金そしてロシアを出国して次の当着地点までの料金をすべて前払いで払う必要がありバウチャーを渡されました。ほとんどが1週間の日程でロシアの数都市が中に予定で組み込まれてました。食事はレストラン、泊まるホテルもロシアでは上のクラスでした。

 

ポーランド人の20か月分の給料になります。両替証明書は国を出るときに国境で調べられ両替額が少ないと足りない分を両替させられました。ポーランドのお金は国外持ち出しですので両替した分は電車の中のお菓子売り場でお菓子を金額分渡されました。

何か無駄な制度と思いましたが決まりですので。数十回ポーランドに行ってますが経験を積むと知識が増えるので強制両替はあるテクニックで全然苦痛には感じなくなりました。テクニックは大胆に両替証明書を洗濯機で洗い文字が薄くなった部分を書き換えると簡単な作業でした。もしくは消せるボールペンも便利でした。

ポーランドには闇両替があり銀行レートの4倍でポーランド人は誰でもドルと交換してくれました。4倍です・・・1ドルでベンツのタクシーで30キロ走ったことがります。ドイツに出稼ぎに行ったポーランド人がベンツを持ち帰ってタクシーをしてたのでベンツは多かったです。

当時はワルシャワの友人家族の家に居候をしてたので朝方に出かける旦那さんが私と数ドルの闇両替を家の中でやってました。当時は西側の品物はすべてドル払いでドルが必要だったのです。

ある朝。家の6歳の娘さんが私に英語で話しました。”change money” と。家じゅうで両親がパニックになり娘さんを叱ってました。この時代は1970年中頃ですがポーランドは民家に泊るのは自由(ほんとは駄目)でしたがロシア人はまだロシア国内では外国人と話をしてはいけない、外国人を家に招いてはいけないとかたぶつの時代でした。ポーランドではほとんど社会主義とは感じない時代でした。

 

ご意見・コメント

 

 

 

 

タイトルとURLをコピーしました