ウラジオストク女性と交際は遠距離恋愛ではありません

毎日のフライトで繋がってる日本とウラジオストク。僅か2時間で日本に一番近い白人国家は大の日本好きな都市。日露間を行き来する将来をお考えなら嫁さんはロシア人!

ウラジオストク女性と結婚紹介22年目の会話倶楽部ロシア

日本列島改造論時代の日本の若者

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田中角栄が1972年に唱えた政策綱領。
これが上手く働いて日本経済の急上昇と収入アップが始まりました。

私はこの時代に仕事をして実感してる経験者です。
とにかく驚くほど日本全体で旧量が上がったと思います。

私の高校時代、家に公務員(警官・海上保安庁)が下宿をしてたので皆さんの月収は3万円程度でした。
それが日本の平均でした。それから数年後に大学に入ってバイトをしたら何と10万円が稼げましたので数カ月、大学にあまり行かずにアルバイトをした結果・・・海外に行ける可能性が100%感じられパスポートを作って日ソツーリストビューロに依頼して横浜からフィンランドのヘルシンキまでの片道費用が学生料金7万円ちょっとで手配でき19歳の誕生日の前に横浜からソビエトの貨客船で2泊3日でナホトカまで渡りました。ヨーロッパ大陸初上陸ですのでどちらの足で第一歩を記するか考えました。右足、いいえ左足?  答えは両足でジャンプして着地でした。

1973年は日本に不満のある人、世界で何か一発を当ててビッグになるといろいろな考えの人達がいて皆さん大学を出て就職しそしておかしいと感じた20歳中盤や30歳を越した人たちがほとんどでしたので私は異色の18歳。

今の若者も海外に出かける人は多いですが当時の日本人と比べると一つだけ大きく違ってるのは今の若者は期間を決めて海外にでますが当時の人達は計画などは持ってなかったですね。最低でも半年や数年と言う感じです。

私の場合はあちこちでアルバイトをしたりイスラエルのキブツで農業をしたり・・・お金とは関係のない生活で初めて横浜を出るときはヘルシンキ迄の片道チケットと米ドルで300ドルが全財産。

ネットのない時代で地球を歩くというガイド本もない時代です。
唯一の旅行書はオーストラリア発行の 英語のロンリープラネットもしくはアメリカ版の一日10ドルという英語のガイドブック。当時はガイドブックは1日10ドルでヨーロッパが旅行できる時代で私の300ドルだと30日はユースホステルに泊り何かを食べて海外滞在が出来る時代でした。

私の目標は仕事探しが第一でヨーロッパ各地をヒッチハイクで仕事探しが毎日、生活費はユースホステルに泊って1日5ドルの生活でしたが充実してました。

2012年ウラジオストクで開催されたAPEC会議で世界のVIPがウラジオストクに集まるときにロシアは2兆円以上が注ぎ込まれウラジオストク大改造が行われて今に至ってます。

ロシア版のウラジオストク大改造・・・そして今、急激に発展中。全日空がもうすぐフライトを飛ばし始めす。
30年前は私も一度、日本航空で新潟-ハバロフスク(夏限定)を飛んだことがありますが全日空は毎日のフライトです。

今、ウラジオストクにホステルという名前の宿泊所が増えてます。600円から宿泊が可能で食べ物も考えれば1日10ドルでウラジオストク滞在が可能です。ウラジオストクのホステルは全部が綺麗ですしwi-fiも普通に完備してます。

今、ウラジオストクに興味を持つ人が増えて訪問者が増えてるのも当然ですね。未知の世界のロシア、日本に一番近い西洋そして白人の国がすぐお隣にある事に日本の若者は気がついたようです。

 

 

 

 

 

 

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