日本のロシア進出・・・1906年(明治39年)

ウラジオストク
この記事は約2分で読めます。

ウラジオストクには多い時で6000人の日本人が住んでいたと言われてます。知り合いの方のお爺さんも当時、ウラジオストクある工場を経営しており当時の話を幼い時から聞かされ引退したらウラジオストクへ行ってみたいと相談され現地のロシア人を紹介したことがあります。

お爺さんからウラジオストクの話を聞かされ一度は行ってみなくてはと定年まで考えておりそして実行されtました。それから何度もウラジオストクへ通われてるようです。

日本人が何故ウラジオストクへ出かけたのか?
ある日本女性の研究家によると出稼ぎだったそうです。それも長崎から多くの日本人がウラジオストクへ渡ったそうです。長崎の人が農業でウラジオストクへ移住する理由はないのでほとんどが商業案系だったのでウラジオストクの中心地に日本人街を作ったのでしょうね。

現在も本願寺跡がウラジオストクにありますので本願寺関係の資料を調べたらウラジオストクの情報がでてました。

下記は半田美穂さんの記録から抜粋

貸席とは・・・国語辞典より
読み方:かしせき. 意味, 代金を受け取って一時的に与える座敷。また、それを生業とする建物。
簡単に言うと売春宿です。860名の日本女性がカラユキさんでウラジオストクに渡っていたようです。カラユキさんはウラジオストクにもいたんですね。

1974年の日本映画でサンダカン八番娼婦という映画がありました。実話に沿った内容で主演の栗原小巻さんはロシアそして東欧で一番有名な日本女優です。この映画が影響してると思います。

内容は非常に重い内容で私は1975年にポーランドのワルシャワで現地の友人に誘われて観に行きました。暗い、クライ重い映画です。日本にもこんな過去があったのだと知りました。

日本ではどうだったか知りませんがロシアや東欧の年配者の方はこの映画は記憶に残ってる筈です。1975年は日本経済絶好調で大国日本と日本人が騒いでいた時代ですが東欧の人達はその時日本をどう考えてたのか?と今はきになります。